日本の教育の底力

室長ブログ

 私の最も不得意とするものは、音楽と持ち物の管理だ。

 音楽の話は、また機会があれば書くこととする。今日は、持ち物の管理のこと。

1週間程前に、ヴィトンのカード入れが見当たらない。いつものことで、その内ヒョイと出てくると高をくくっていた。

 中には。運転免許書、健康保健書、銀行カード2枚、クレジットカード1枚、よく利用するショッピングカード数枚、プリぺードカード数枚などが入っている。

免許書もあるので、さすがにかばんや車の中、家中を探してみたが見当たらない。少し不安になったが、家内にも、もう一度探してみてと頼んで、仕事に出かけた。

昼過ぎに、家内から電話。「見つかったか」と期待して出たが、「無い」という。急に不安が大きくなる。

 

 夕方に、着信記録があって、電話をすると「〇〇警察署です。」カードケースが、届けられていた。勤務を終えて、警察署に出向いて、無事カード入れを受け取った。

 このカード入れを落として、警察署にとりに行ったのは2回目だ。これまでも携帯を落として、ショッピングセンターの受付などに取りに行ったのは、数えきれない。

さすがに現金をそのまま落とした時(気付かないこともあったに違いない)は、戻って来ないが、足元に落としていて、注意されたことは数度とある。このように、持ち物の管理が悪いのは病癖に近い。

 

 しかし、カード入れも、携帯も必ず戻ってきている。今回も、拾い主は、名前も告げないまま、届けてくれている。

 日本人の道徳性の高さが伺える。それは、ひいては日本の教育のレベルの高さと言えるのではないか。

 小中学校の教室を覗いても、大部分は、自席に着席し、発表のルールを守り、私語を控え、合唱の時は声を揃え、朝礼では列を整え、朝夕の挨拶の声も響いている。

 順番や、並び方、話し方、歩き方まで、教えられたルールを守っている。

 

 今回のコロナパンデミックでも、日本人のマスクの着用や、ソーシャルディスタンス、手洗い、消毒の励行など、日本人の道徳性の高さが際立っている。日本の教育の大きな成果と言える。

 偏狭な学力調査に惑わされない、日本の教育の伝統を守る視点も必要だ。

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