それ ハラスメント? 校長からの ハラスメントについての 女性教師からの訴え
室長ブログ
2025.1.7
校長からのハラスメントを受けているとの相談がありました。
「修学旅行に同行しなくても良い」と言われたというのです。彼女は、養護教諭です。毎年の修学旅行には同行していましたが、今年は同行しなくて良いと校長から言い渡されました。
数か月前に、6年生の保護者とその女性教師の間にトラブルが有りました。些細な行き違いが原因でしたが、保護者から学校にクレームが有り、その時も校長は保護者の申し出に従い、女性教師に謝罪をするように言いました。その保護者から、(子どもが参加する)修学旅行には、
その養護教諭を参加させないで欲しいと言われたことが理由だというのです。
確かに、例年同行している修学旅行に行かないのは、以前のトラブルのことも職員間や一部の保護者も知っている中で、その女性教師にとってはプライドも傷付けられることでもありました。
私は、この事例が、(パワー)ハラスメントに当たるかどうかを判断する立場にはありません。ただ、心理士としては、心理的に苦しんでいる彼女の辛さに共感しながら、対応を検討することになりました。
ハラスメントであるかどうかの判断は難しいものです。念のため、ハラスメントの定義を確認しておきます。
※検討会報告書においては、以下の①~③の要素をすべて満たすものを職場のパワーハラスメントの概念と整理。(厚労省HPから)
①優越的な関係に基づいて(優位性を背景に)行われること
②業務の適正な範囲を超えて行われること
③身体的若しくは精神的な苦痛を与えること、又は就業環境を害すること
※そして、ハラスメントに当たりうる行為として挙げられた6つの行為類型を挙げている。
1.身体的な攻撃(暴行・傷害)
2.精神的な攻撃(脅迫・名誉棄損・侮辱・ひどい暴言)
3.人間関係からの切り離し(隔離・仲間外し・無視)
4.過大な要求
5.過小な要求
6.個の侵害(私的なことに過度に立ち入ること)
今回のケースでは、上記①は該当し、②は、修学旅行に参加させない事や、謝罪を強要したことが客観的に業務の適正を越えているかどうかは検討事項、③は本人の苦痛が認められるかどうか等が、評価の観点となるでしょう。行為類型では、修学旅行に参加させないのは5の過小評価に該当するでしょう。
ハラスメントについては、被害者からも加害者(訴えられた方)からも両方からの相談があります。
上記の養護教諭のケースの様に、状況は様々です。細かな事実を確認しなければ、ハラスメントであるかどうかは、判断できません。カウンセラーとしては、先ずは相談者の辛さに共感しながら、客観的な状況を踏まえ、課題の解決に寄り添う事です。
いくつかのケースを通して、状況は様々であっても、共通することがあります。いずれのケースでも、被害者には、孤立感があるという事です。
同情してくれる仲間からでさえ、被害者側の問題はなかったのか、ぞれ程大騒ぎする問題?相手にはそんな意図があるの?等、言葉にしないまでも、そのような雰囲気を感じ、孤立化していくのです。
被害者のもう1つの共通点は、閉塞感です。ハラスメントの場面は、閉鎖的な状況であったり、瞬間的な言葉や態度、行為であることも多く、目撃者が無いのです。それ故、状況を説明したり、程度を示すことの壁にぶち当たり、ハラスメントを証明することの困難さに閉塞感を持っています。ハラスメントであることの証明が、加害者の真摯な言葉や姿勢に依らざるを得ないという矛盾した状況にあるのです。
加害者にも共通点が見られます。それは、ハラスメントであるという認識が低いという事です。ハラスメントが何であるかを知らないわけではありません。自身の言葉や態度、行為がハラスメントであるという自覚が欠如しています。先の。兵庫県知事の問題が、その象徴です。
様々な怒り、暴言、行為が、ハラスメントであるとの証言の前でも、毅然として「ハラスメントではなかった」と否定しています。知事の行為がハラスメントに該当するかどうかは、私が判断できるものではありませんが、あのような態度こそが、共通点として見られるという事は、言えます。足を踏まれた側にしかその痛みが分からないというのが実態です。
相手の立場に立って、感じられるという感性が必要です。そのような感性が欠如しているゆえにハラスメントを為すという事かも知れません。私は、相手の立場に立つ感性こそが、ハラスメント防止の要諦の様に思います。
次元は違いますが、今世界で止まらない戦争にも、この感性の欠如があると思っています。
誰でも,自身にかかる痛みには無関心ではいられないでしょう。同じように、自分の家族や仲間にかかる痛みにも耐えられないでしょう。同じ思いを、対面にいる相手に及ぼすことができれば、無謀な行為は減少するのではないでしょうか。