多忙感 ストレス以外の要因とは何か?
室長ブログ
2024.9.14
教師の多忙感に関わる、ストレス以外のもう一つの要因があります。
それは、仕事の過程や結果に対する教師自身の満足感の低下にあります。
膨大な仕事をこなし、その努力の末に、目指していた結果を得たとすれば、それまでの苦労や努力が報われ、達成感を感じ、幸福感を得るのでしょう。そのような経験を通して、次の過酷な課題に直面しても、やり切ることが可能となります。そのような過程では、どんなに苦しくても、多忙感を乗り越えて邁進しているのではないでしょうか。
教師の仕事は、時には苦労や努力に報われないことがあります。一生懸命指導した子どもが、教師に反抗したり、不登校になったり、授業が上手くいかなかったりすると、教師は本当に辛くなります。そのような場合は、強いストレスと共に、仕事の重圧感が増すのではないでしょうか。
私は、近年の教師の多忙感の要因には、ストレスと共に、この仕事への満足感の低下があると考えています。
満足感の低下の背景には、教師の仕事の多様性や仕事量の大きさにより、教師がそれぞれの仕事に十分に向き合う余裕が無いという面もあります。不十分な準備で臨んだ仕事に満足感が生じないことは当然です。
もう一つは、前回も触れましたが、教師の仕事の成果は、努力や費やした時間に比例しない場合が多くあります。特に、授業がそうです。準備不足は、最悪ですが、準備していて上手くいかないことも多くありました。・・・・これは、次回報告します。
授業以外でも、生徒指導や進路指導、保護者対応等、教師の願いや目的とは違った方向に向かい、仕事を終えた後、不全感や後悔を残す場合も少なくありません。
教 師が仕事に充足感を得にくいのは、準備不足ややる気が無いからではありません。これまでに、多くの先生方と一緒に仕事をしてきましたが、概ね、教師は真面目で、努力家です。手を抜くよりも、手をかけすぎて、その分自分のやり方に固執するぐらいの方が多いかもしれません。
充足感、満足感を伴わないのは、教師の仕事が対人援助職、即ち人を相手の仕事だからです。何をしても、全ての人を満足させることはできません。最大公約数の選択をしても、その決定が受け入れられない人は、一定数存在します。
教師が、完ぺき主義者であれば、その状況は受け入れ難くなります。
勿論、一人の子どもの成長を喜んだり、苦労した子どもから「ありがとう」と言われ涙したり、一回り大きくなって羽ばたく姿に感動する場面も、多くあります。しかし、その感動に浸っている時間はありません。
教師は年度が変わると、これまでの仕事をリセットして、新たな出発をしなければならない宿命があります。毎年毎年、気持ちも、教材も、対する子どもたちにも、一段ギアを上げてスタートします。この際限のないサイクルが、常に充足感を保つことの難しさになっているかも知れません。
教師の仕事の充足感の維持の難しさが、満足感の低下となり、それが徒労感、疲労感に繋がって、いつまでも心の重圧となり、心のゆとりのない「多忙感」となっているのではないでしょうか。